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2008年09月28日

吉本、たこ焼き、タイガースは大阪偽装?

大阪らしさが「吉本、たこ焼き、タイガース」と誤解されている状況に、「いまさら気取っても仕方ないし、そう言う人には、大阪はそんだけのもんです、と言っとけばいいのとちゃいますやろか(笑い)」と、そのまま肯定するのは嘘や偽装ではないでしょうか?

大阪は「吉本、たこ焼き、タイガース」だけでは実際ありません。多様な文化のあるところです。田辺聖子さんの著作も多様な文化を担っているだけにこの発言は残念です。

勿論、冗談を言うこともありますが、それはあくまで冗談であって、漫才やお笑い芸人を体現しているわけではありません。日本人が冗談を言わないわけではないでしょうし、大阪や関西で冗談を言うと漫才扱いされる状況にこそ問題があるように思います。

根本の問題である「吉本、たこ焼き、タイガース」と誤認さされている状況を改善しなければいけないのは当然だと思います。そのためにもメディアの偏向的な扱い、ステレオタイプな採り上げ方をなくさないといけません。


毎日新聞大阪発行120年:興す!地域の明日 田辺聖子さん、アレックス・カーさん

 私たちの住む「地域の明日」を「興す!」ためには、どうすればいいのか。毎日新聞大阪発行120年記念企画の第1回は、女性の柔らかな感性で「言葉」の持つ意味の大切さを語る作家の田辺聖子さん(80)と、外国人としての視点から地方にこだわることの意義を話す東洋文化研究者のアレックス・カーさん(56)に登場いただいた。田辺さんは、地域=関西・大阪と、その言葉への強いこだわりが作家としての原点、と語り、「自分の住む地域に誇りと愛情を持つ」よう訴える。カーさんは文化や歴史を生かした新しい街づくりを提唱し、「地方でこそ面白い事ができる」と指摘する。
 ◇誇りと愛情を持って--作家・田辺聖子さん

--戦前、戦中、戦後をずっと関西で暮らしていらっしゃいました。思いつくままに関西の特色や印象を話してください。

 ◆私は暮らしの大半が大阪です。実家が大阪市内で、祖父の代から写真館を営んでいました。祖父も父もハイカラな人でした。商売人はハイカラな文化で心身を洗わなければならない、というのが胸の内にあったのでしょうね。決して裕福ではなかったが、戦前でもわが家の食卓にはビフカツが並びました。街にはタクシーがあふれ、歌舞伎座、映画館には庶民がいっぱい行っていました。宝塚歌劇や松竹歌劇に年中通ったものです。大阪は商人の町だったせいもあったのでしょうが、昔の大阪人はみんな遊びが好きでしたよ。戦争で焼け野原になって、戦後のすぐは人も街も疲弊したのは当然ですけれども、今はまた大阪らしさを取り戻したのではないかしら。

--その大阪らしさですが、最近は何かにつけ「吉本、たこ焼き、タイガース」というフレーズで語られます。

 ◆その一言に大阪を集約するのはもちろん無理なことだけれど、大阪的な気質は息づいているのと違うかしら。いまさら気取っても仕方ないし、そう言う人には、大阪はそんだけのもんです、と言っとけばいいのとちゃいますやろか(笑い)。

 大阪の街の魅力は何といっても住んでいる人にありますね。向日性があります。人とのかかわり、会話のやりとりが自然と笑いを交えて行われるし、おとなしい人でも、皆がシーンとしていると、おもしろいこと言って笑わしたろか、となる。たくさんの中でみんなで一緒に笑うという文化があると思いますよ。

--今年は「源氏物語」千年紀です。大阪弁、あるいは関西弁など言葉についてどうお考えですか。

 ◆大阪弁の語彙(ごい)や話しぶり、ものの言い方は、「源氏物語」に似ているところがあると思います。直接的な言い回しはしないけれども、ちゃんと核心を突いている。大阪弁でも、「そーでんナ、ほんまでんナ」などと遠回しに言いながら、自分の言わんとすること、相手の言いたいことにきちんと触れている。そのような文体、会話が成り立っているのね。

 私自身は、「大阪弁で恋愛小説を書く」というのが作家として立つうえでの心の構えでした。大阪弁は肌にぬくもりを感じさせるというか、人の気持ちのひだに沿うようなニュアンスがあります。それだけに、発音通りに活字にしようと思うとダメで、平仮名、カタカナを上手に使いながら文章にしないと読んでいられないものになってしまう。目で見ておいしい、耳で聞いておいしい文章を書くには、よほどのセンスが必要です。

--初期の恋愛小説「言い寄る」などが30年ぶりに復刊され、好評です。大阪弁を巧みに使って男女の機微を見事に表していて、全然古びていません。

 ◆うれしいことですし、口はばったいかもしれませんが、言葉に対する感度といいますか、大阪弁を用いて心に染み入るような文章を書くには、先ほどのように、目が達者、耳が達者で、しかも目に(言葉に対する)好みがないといけません。そのためには自分の住んでいる地域、言葉に愛着を持たなければいけないと思います。

--いい古された言い方ですが関西の地盤沈下が叫ばれて久しい気がします。人も、お金も関西から流出する事態が続かないことを願うばかりです。

 ◆経済的なことはおそらくそうなんでしょう。ただ、もの書きは関西でも途切れることなく出ています。私のように大阪弁で、あるいはその地域の言葉でものを書こうとすれば、住んでいるところを離れるのは、糸の切れたたこになってしまいます。もちろん、小説はどこにいても、どんな境遇でも書かれるべきもので、実際、書かれ続けてきましたが、私は関西にこだわりたい。関西の空気で肌を洗い、関西弁で耳を洗うことで、読んでも、見ても、読者に受けいれられる作品をものすることができると思っています。これからも関西弁はもとより言葉の深みをのぞき続けるつもりです。

--毎日新聞に望むこと、そして若い人たちへの伝言があれば聞かせてください。

 ◆子供の時に「毎日小学生新聞」を購読して以来、新聞には親しみを持っています。事件、事故を含め世情をもっとも的確に網羅的に知ることができますし、文化を引っ張る大きな役割を果たしているのが新聞だと思います。これからもそのことを忘れないでいただきたい。

 若い人たちには古典を読んで、と言いたいですね。私はかつて、「源氏物語」の現代語訳を試みましたが、他の古典を含め、今の世の中ならではの新しい訳に挑戦する書き手が出てくることを望んでいます。古典は先人の知恵や日本人の慣習や心の奥行き、言葉の精妙さを知るうえでの宝庫。幅のある教養ある人間になるためにも多くの若い人にぜひ読んでもらいたい。

 古典の舞台に関西は数多く登場します。改めて足元を見つめ直し、自分の住んでいる地域に誇りと愛情を持つ若い人がたくさん出てくることを期待したいですね。【聞き手=鈴木敬吾・学芸部長】

【略】

毎日新聞 2008年9月28日 大阪朝刊

毎日新聞大阪発行120年:興す!地域の明日 田辺聖子さん、アレックス・カーさん - 毎日jp(毎日新聞)
http://www.mainichi.jp/kansai/120/archive/news/2008/20080928ddn012040017000c.html


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Posted by osakajigyaku at 23:57│Comments(0)大阪自虐
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